『なんでもええから日本で1番になってこい』 なぜ大道芸人になったのか? | バルーン王子アキのコラム

第1回 『なんでもええから日本で1番になってこい』 なぜ大道芸人になったのか?

アキの代名詞的作品のバルーンドラゴン

皆さま初めまして☆バルーンパフォーマーアキです。

今回から、こちらのサイトでコラムを書かせていただくことになりました。定期的に読んでいただけると、嬉しいです。

 

初回のテーマが『なぜ大道芸人になったのか』ということですが、そもそも大道芸に対して、皆さんどんなイメージを持っていますか?

自分が10代の頃は大道芸というものを知りませんでしたし、見た事もありませんでした。

 

18歳の時、理容師を志し専門学校に通う日々でした。 通学路で男性が大道芸!?というものをして、たくさんの方を笑顔にしていました。

自分もいつの間にか学校のカバンを置いてその観客の一員に(笑) その時たまたま見たのがバルーン!!

一瞬で自分もやってみたいと思い、すぐに玩具屋に走り小さな箱のバルーンキットを買いました(〃ω〃)♪

 

3ヶ月も経たないうちに、大阪の梅田の路上で風船を作り、道行く方にあげては練習しました。

次は京都、次は難波と場所を転々としていましたね。

これが、自分がバルーンをやりだしたきっかけです。

 

しかし…このバルーンが仕事に出来るなんて思っていなかったので、理容師にも大道芸人にもならず、友達に誘われてモデルの仕事とアルバイトで生計を立てていました。

そんな生活が数年…続きました。

そしてある日、寝る前にふと思ったんです。

 

『このままじゃダメだ!社会勉強をしに東京へ行こう!!』

と…。 2ヶ月後にはアルバイトもモデルの仕事も辞めて東京へ☆

 

 

たまたま休みの日に行ったアウトレットモールで、人生2回目の大道芸を観ました☆

今回はアクロバットでした。 そこでジャグリング・アクロバットのベテランの方々のショーを観て勉強をさせて頂きました。

その時、「バルーンでショーをしたい」と強く思いました。

はじめてバルーンを、仕事として意識した瞬間でした。

 

しかし3年後、家庭の事情もあって関西に戻り…派遣の仕事をしていました。

また平穏な生活に逆戻りした感じがしました。

その頃に言われた父親からの一言が再び、人生の転機をつくりました。

 

『なんでもええから日本で1番になってこい』

 

この言葉は、父親が亡くなった今でも、決して忘れられません。

これをきっかけに、東京で感じたあの感覚を思い出し「バルーンで日本一になってやる」と思いました。

 

バルーン全国大会への出場を考え、“優勝したらこの世界でプロとして生きていく”と決め練習を重ね出場する決心をしました。

そして、その年の2006年夏、優勝。

同時に大道芸人として「バルーンパフォーマーアキ」が誕生したのでした。

 

では、次回お楽しみに。

バルーンパフォーマー アキ

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2006年 ザ・ツイスターズ コンテスト★ラージ部門★ ★優勝★
2007年 ザ・ツイスターズ コンテスト
★TWIST15部門★ ★優勝★
★スモール部門★ ★準優勝★
★ワンバルーン部門★ ★準優勝★
2008年 ザ・ツイスターズ コンテスト★SHOWゲスト★ ★審査員★
2008年 大道芸ワールドカップIN静岡 ★オン部門★ 出場
2009年 ヘブンアーティスト ★合格★

【講師】
2006~2009年 ツイスターズ(全国大会)

【大道芸大会】
フェスティバル 出演歴(2008~2009)
うつのみや大道芸
静岡大道芸ワールドカップ オン・オフ部門
リトルワールド大道芸
幕張大道芸
長岡大道芸
アリオ川口大道芸 優勝・準優勝
モザイク大道芸人コンテスト 準優勝
天満天神大道芸祭 準優勝
ふくやま大道芸コンテス ローズプライズ特別賞

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